友達の子、という扱いがよく分からん存在

気付かぬフリをしてきたけど、そんな訳にはいかんのよね。

私は対外的(親しい友人)には「子供が嫌い」と言っている。

実際に好んでは小さな子に近付かないし、近付いてほしいとも思ってない。

大きい声で言える事じゃないので、親しくなった人にしか言わないけど、そんな友人達も現在では皆子供を産んで育てている。

「子供が嫌い」とは言っても便宜上「嫌い」と言ってるだけで、毛嫌いしてるわけでもないし「近寄るな」オーラを出すこともない。

猫の場合だったら、種類、性別、大きさ、性格に関わらず猫という存在が「好きだー!」と言えるけど、子供の場合はそうならん、という話。

「子供だから」「小さいから」の理由だけでは好きになれない。

この辺りは全く知らない他人に対する気持ちと同じで「好き」「嫌い」以前に「よく知らない」だけ。

話してるうちに気が合えば好感を持つし、合わなければ苦手だなと、思い自ら積極的には会おうとは思わない。

好感を持ってる子供には自然に「何かしてあげたい」という気持ちが湧いてくるので、それが傍から見れば「子供を可愛がっている」ように見えてるだけ。

こちとら、可愛がってるつもりはなくて、したいからしてるだけ。
一緒に遊ぶのが楽しいから、一緒に出掛けたいから、何かあればプレゼントしたいから、それをしてるだけ。

その子の親とも勿論、友達だけどどちらかと言えば親よりも子供との方が親密になってる時もある。こういうのは、まれだけどね。

どうにも「子供フィルター」が自分にはかからないので、ある程度会話が成立する年齢に達すると、人として見ちゃうんだよね。

「何かしらのゲームをしていると序盤で飽きてしまう子」
大概、こういう時はご機嫌で違う事に気が移るんじゃなくて、機嫌が悪くなって「やりたくない」と言い出すパターンなので見てて面倒臭い。

「一緒に食事をしたくない子」
落ち着きがない。テーブルの上を実験台とし、食事で遊び出す子。「ちょうだいっ子」(←これは大人で言う「一口ちょうだい」)

「外に出かけた時に機嫌が悪くなり、以後ひたすら機嫌を直す為に時間を割く子」
歩くことすら放棄して、全身の力を虚脱させるので大人一人は確実に子供を抱っこせざる得ない。空気も悪くなるので、それ以後は楽しめない。

さくっと上げたけど全部「子供だから仕方ない事」なんだよね。

頭では理解できるんだけど、じゃぁ「しんどっ」って思わないかって言ったらガッツリ思うし、次また会いたいかって言ったら「当分は遠慮したい」という気持ちになる。

友達の子だから、全く口を出さないかと言えば出す時もあるのよ。
けど、相手によっては「子供だからしょうがない」「子供ってそういうとこがある」「なんちゃらの教育の一環で~」が出てくると、もう何も言えんわ。

ここで「子供嫌い」を公言してるので、苦手な子の場合はそれをフル活用して会う事自体を避けるけど、それでも「ウチの子好きになって!」圧を出してくる子もいる。

仲が良い友達の子だからって、その子も同じようには見れないのよ。

「子供だから」の理由ではこっちの感情までは納得させられんのよ。

友達の事は好きだから、その子の子供も好きになってあげたいけど、どうしても苦手な子だと「苦手だわ~」が私の前に貼り付いてる。

何かしらに誘われる度に「あ~行かなかんのか~」とかイベントが近付く度に「あ~何か買ってこな~」と義務感におそわれる。

「子供嫌い」とこっちは言っていても、相手は自分の子を好きになってほしいんだよね。
分かりたいけど、分からんわ~。

猫嫌いって言ってる人に自分の家の猫を好きになってもらおうと思わないし。それとは違うのか。

もう無言の圧がね。ビシビシくるんだよ~。

隔たってくわ~。小さい溝みたいのが、圧かけられる度に広がるわ~。避けたくないのに連絡自体、避けてるわ~。

「許容する事が出来ない心が狭い人間です」という事を認めるから、頼む!もうその「ウチの子は好きになって」圧を止めてくれ。