「進撃の巨人」完結してた

新刊チェックをしないとこうも情報が入ってこないのか。それに関連するニュースを選択して見てないからか。

月刊マガジンでは4月には最終回をのせてて、単行本が6月9日に発売されてる。本当に偶然「Kindleで漫画読むか~」と思ってたとこにドカーンと「完結!」的なバナーがあったから見たけども。

ネタバレがあるだろうし、伏線どうのと考察的なのはない。あと読んでない人にも分かりにくい。読んでない、知りたくない人はそっと閉じて。


この作品の特長の一つが伏線伏線と騒がれてたこと。私自身、見てる時に「あっ、このシーンは!そうか!そういうことだったのか!」と思った事はない。ないからこそ他人の考察なんかを見て、また別の視点で読み返せるのが面白かったりする。

今回も伏線どうのは全く視野に入らず読んだけども、私はこの結末で満足ですよ。
どんな終わり方したって「ああだ、こうだ」は出る。広げるだけ広げた風呂敷を畳みもせずに完結させてしまう作者もいる中、きちんと閉じて終わってる。

ジークの「安楽死計画」が出る前だからマーレ編の辺りになるのかな。「巨人」という存在自体のどうしようもない感、平和的解決への道の八方塞がり感、誰もが納得するような結末はどうしたって迎えられないというのはこの時点で察するわ。

エレンの選択した方法は独断的だと思うものの、エレンにとっては自由を求めるが故に結局は「その景色(まっさらな大地が広がってる世界)が見たかった」んだろうなぁ、と思ってる。
「生まれるべきではない存在」というのは倫理観的にも認められず、個人的にも認めがたい。けど、実際はどうしようもなく「何故生まれてきたんだろう」というのは多々あって。「巨人」という存在はユミルの民にとってもそれ以外の人にとっても「忌むべき存在」の象徴になってて、だけど人類にとってマイナスな事だけかと言ったらそうではなく、人が各々そうであるように「巨人」もプラスの面とマイナスの面を併せ持ってる。
大半の人にとっては「大量殺人鬼」という存在が誰かにとっては「存在する価値がある人・存在していてほしい人」であるかもしれない。じゃぁ、隣に住めるのかと言われれば、やっぱり住めないわけで。

沢山のテーマが読み進めてる毎に増えてったけど、それが「巨人」という存在で展開していったのは面白かった。

私は最終話よりもアルミンとジークの対話シーンが一番好きだな。137話か。

何故、生きるのかって未だに明瞭とした答えがない。「幸せになるため」「前世の罪を拭うため」「子孫を残すため」あと、何?何かかんか理由つけてみるものの『結局、何?』って思うけど、137話でのアルミンが話してる「何でもない一瞬」でいいじゃないか、と。
その瞬間が多ければいいってことでもなく、その一瞬を感じて「あ~生まれてよかったわ~」と思えたらそれでいい。
アルミンにとっての「落ち葉」やジークにとっての「野球ボール」私にとっての吉沢亮。あの人、見た時「あ~生きてる間に拝めて良かった~」と自然に思ったわ。とてつもなく、しょうもないけどね。

このシーンでジークの思春期特有のお悩みが解消され、戦闘の形勢逆転を計れた。巨人になると精神的成長は望めんのかな。ユミル始祖もずーーーっとフリッツ王に片思いしてたとかね。2000年の片思い。想像つかんよ。

最後のシーン、度々出てきてた鳥がミカサのマフラーをかけ直してあげてるのが「俺のことは忘れろ、マフラー捨てろ」的なことを言ってたエレンが全く逆の事を思ってたんだね、これでミカサにもちゃんと伝わったね、と思うよ。最後のミカサへの言葉が「ずっと嫌いだったんだよーーー!(うそうそ、大好きーーー!)」こういうことだろ、と思うとエレンは小学生かいな、とも思う。
ユミルも自分の2000年級片思いは叶わずともミカサの異常な程の片思いを「頑張れ!ミカサ!」と陰ながら応援してたのかもしれん。なかなかにね、漫画でしか許容できん世界よ。

  • 未だに謎なのは度々出てた『ミカサの頭痛』。
  • 最終話でのエレンとアルミンの対話から『ベルヘルトはまだ死ぬべきじゃなかった』の意味。
  • 『アッカーマン』って結局、何?問題。
  • 『エレンの未来が視えた時』エレンがヒストリアの手の甲にキスをした時に未来が視えたみたいだけど、何で巨人ダイナの時は視えてなかったんだろ。
  • 世の「号泣した」勢の号泣ポイント。

『ベルヘルトはまだ死ぬべきじゃなかった』の台詞はネットの一考察では24巻96話でベルヘルトが巨人ダイナに出くわした時、本来は食べられる→ダイナ超大型巨人の力を継承して復活?となるところをエレンが過去を操作し、その結果、エレンの母親カルラが襲われてしまった。という見方があるよう。
確かに、この台詞のあとのコマを見ても「エレンの家に岩が落下してる」→「それを聞いたアルミンの悲壮な表情」からして納得できる。

他の疑問もおいおい読み直しながら解いていきたいが、解けきった時には私はもうこの漫画は開かないんだろうなぁと思う。何度も読みたくなる・読み返してる作品もあるけど「進撃の巨人」はその意味では何度も読まない。謎が解明できるまでの間だけだと思う。面白くないから、じゃないんだけど何だろうね。
ゲームで普通にクリアした後に、裏技を試してみたり別のエンディングを探す感覚なのかな。やってる間は楽しいんだけど、やり尽くしたら二度と手にしない類に似てる。

何にせよ、進撃の考察サイトを見る楽しみが増えた。ひゃっほーい。